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オススメアメコミ紹介第13回:スパイダーマン(池上遼一版)

今回オススメアメコミ紹介とあるが、実はそんなにオススメはしない。

というのも、今回紹介するスパイダーマン池上遼一版)」は、読む人を非常に選ぶ。

現在放送されているアニメ「アルティメット・スパイダーマン」のような明るく楽しいノリを期待しているなら言っておくが、そんなものはこの作品に一片たりとも存在しない。

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凛々しいハンサムなスパイダーマン。なお、ピーターと違いメガネは最初から掛けてない。

本作は、1970年代に劇画家池上遼一先生によって執筆され、講談社から出版された。

ウィキペディアによると、初期は翻訳家である小野耕世氏も参加していたらしいが、途中から手伝っていない。

 

大まかなストーリー

音羽高校に通う学生「小森ユウ」は、いわゆる科学オタクだった。

運動音痴とバカにされ、進学に役に立たない研究ばかりしていると後ろ指をさされながらも「いつか見返してやる」という若干暗めの信念を持ち、今日も研究に没頭していた。

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小森が今日も今日とて研究をしていると、研究室に住み着いていたクモに噛まれてしまう。

蜘蛛に噛まれたせいか体調を崩してしまう小森だったが、気がつけば拳で鉄骨をへし折り、壁に張り付く力を身につけていた。

「研究室の放射線の影響を受けた蜘蛛に噛まれることにより、自分に蜘蛛の力が備わった」

ということを突き止めた小森は、そこからさらに研究を重ねる。

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そんな危なっかしい研究を高校で、しかも防護服もなしに…というのは無粋なツッコミか。

奇跡のような出来事に舞い上がる小森は、更にそこからクモ糸のような物体を発射できるスパイダー液と、コスチュームを作る。

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唐突だが、ここで科学のお勉強だ。

ウィキペディアによるとクモ糸というのは同じ太さの鋼鉄の5倍の強度とナイロン材の倍以上の伸縮性を持ち、耐熱性も非常に高く、鉛筆ほどの太さなら飛行機すら受け止めることが出来ると言われている。

そんなわけで、クモ糸は自然界で最強の強度を誇る素材として知れ渡っている。

ちなみに、人工クモ糸の大量生産を実現出来るようになったのは2013年であり、日本の企業「スパイバー社」によって実現が成功した。

つまり、この時点で当初の目標だった「クラスの皆を見返してやる」という野望は達成しているも同然である。

それどころか世紀の大発明を実現させているのだ。

 まあ、漫画にこんな無粋なツッコミをするのもアレな話だが。

参考サイト:山形のベンチャーが世界初! クモ糸量産化成功の快挙

ちなみに、本家スパイダーマンのピーター・パーカーも独自に同じものを開発している。

「特許取れよ」というのはいいっこなしだ。

 

コスチュームまで作ってノリノリな彼だが、実はこの時点ではまだ平和のために戦おうなんて気持ちはこれっぽっちもなかった。

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ちなみに全部手縫い。小森くんは結構凝り性だ。そして中々いい腕をしている。

しかし、ある日、電気を操るヴィラン「エレクトロ」が街を襲っているところを目の当たりにし、正義の為に闘うことを決意する。

そうして、小森ユウはスパイダーマンになった。

それは、同時に苦悩と孤独の道を歩むことも意味していた。

 

ひたすらに陰鬱

この作品を一言で言うなら「陰鬱」である。

もうとにかく酷い。

小森が何をしたんだってくらいボロクソにバッシングを受けるし、出てくるヴィランも皆ある意味被害者である。

本国版スパイダーマンでもバッシングを受けたり恋人を失ったり、ベンおじさんを殺されたりメイおばさんが狙撃されたりと負けじと不幸にあってはいるが、それでもヒーローの友人ができたり理解してくれる人が居たり、決して不幸だけ味わっているわけではない。

しかし、本作ではそんな救いは一切ない。

とにかくボロクソに叩かれ、

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J・ジョナ・ジェイムソン(池上遼一版)に目をつけられ

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海外に親戚居ますか?と聞きたくなるほど似てる

ひたすらに苦悩する。

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その凄惨な陰鬱ぶりは「今日もアルティメットに行くぜ」なんて言っている場合ではない。

親愛なる隣人であろうとしても隣人はすべて門前払いをしてくるような状況だ。

それほどひどい。

しかも不運なことに、この作品には友人のハリーやMJは出てこない。

それどころかベンおじさん(池上遼一版)も出てこないのでスパイダーマンのテーマの一つでもある「大いなる力には大いなる責任も伴う」というものもなく、小森少年は自分一人でスパイダーマンとして戦う意味を見出さなければならなくなる。

なお、メイおばさんとグウェンは出てきます。

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ちなみに、この作品ではグウェン(ルミ子さん)も相当悲惨な目に遭うことになる。

 

同情の余地しか無いヴィランたち

ヒーロー物にはヴィランがつきもの。

当然のことながら本作にも原作でお馴染みのヴィランが多数登場しているぞ。

しかし、ほぼ皆重苦しいエピソードが含まれている。

まず、本作一番手を務めるヴィランのエレクトロだが、人身事故の賠償金を支払うために改造人間の実験台として生み出された。

しかも、自業自得とはいえ改造した博士をうっかり殺してしまい、二度と普通の人間に戻ることができなくなってしまった。

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しかも正体が小森に関係している人物であり、その人間の生命を自分で断ってしまった小森は、ますます苦悩することになる。

次に出てくるのはリザードだ。

こちらは当ブログでは2015年8月時点で紹介してないが、映画アメイジングスパイダーマンを観た人は知っているだろう。

いつか紹介します。はい。

こちらも、どちらかと言えば完全な被害者に当たる。

とある薬の研究のため、ジャングルを探索していた時、出世のため同僚に突き落とされた博士。

それがリザードの正体だ。

その後、何とか生き延びたが、なんやかんやあって自身も感情が高ぶると爬虫類のようになってしまう体質へと変化してしまった。

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しかも、その原因を作ったのがやはり小森の関係者であり、罰されるべきなのだが特にお咎めなくエピソードは終了。

リザードとなってしまった博士は戦闘中水槽に落ち、変身が溶けた瞬間ワニに食われるという凄惨な最期を遂げる。

そして小森は更に苦悩するようになる。

 

他にも、生まれ持ってカンガルーの力を得たせいで、普通に生きることすらままならないレスラー「カンガルー男」や、小森の信頼していた人が偽スパイダーマンとして活動し、最終的に「ミステリオ」としてスパイダーマンに襲いかかってきたりと、ひたすらに小森を曇らせに来る。

なお、カンガルー男は原作でも「カンガルー」という名のヴィランとして出演している。

なお、今回紹介しているヴィランや事件は、すべて1巻での出来事である。

文庫版まるまる一冊小森くんを殺しにかかってるぞこの本。

 

大いなる責任を放棄したスパイダーマン

スパイダーマンになってから連日このような不幸が襲いかかり、誰からも支えられず、一人で戦い続けていたスパイダーマンは、闘うのを諦めたのか、途中から全く戦わなくなるどころかスパイダーマンにすらならなくなる。

それもそのはず。この作品にはヒドラやAIMといったヴィランの組織なんて出てこないし、地球征服を企む悪の組織も存在しない。

それ以上に現実社会という名のヴィランが大暴れしているので、もはやスパイダーマンとして闘う意義を見出だせなくなったのかもしれない。

結果、スパイダーマンは次第にヒーローというよりも、エピソードの狂言回しとして登場するようになる。

最終回に至ってはさんざん食い物にされた一人の女性がとある力を手に入れ、復讐に走ろうとするのを止めるどころかむしろ肯定し、どこかへ去っていくというハードすぎるラストで物語は終了する。

「止めないなんてヒーローらしくない!こんなのスパイダーマンじゃない!」

と思う人も居るかもしれないが、彼はれっきとしたスパイダーマンだ。

しかし、責任を放棄したスパイダーマンだ。

ピーター・パーカーと小森ユウの大きな違い、それはベンおじさんを含め、支えや見本になる仲間が誰も居なかったことだろう。

もし、小森に「大いなる力には大いなる責任が伴う」という言葉を最初に投げかけてくれる人がいたら、小森ユウはもう少しだけヒーローとして戦っていたかもしれない。

ヒューマントーチやアイスマンのような友人がいれば、小森ユウは孤独を感じなかったかもしれない。

しかし、結局誰も救いの手を差し伸べてくれなかったので、大いなる責任は放棄され、スパイダーマンは小森ユウへと戻った。

今後、彼はどんな道を歩むのか、それは連載が終わったので想像するしか無い。

ちなみに、スパイダーバースには名前だけ出演している。

もし出演していたら、口数も少なく、とことん根暗なスパイダーマンとして活躍していただろう。

 

二巻まで読めば十分

この作品をスパイダーマンとして楽しみたいのであれば、文庫版2巻までで十分であり、あとは読まなくてもよい。

というのも、スパイダーマンに出てくるヴィラン2巻冒頭を最後に一切出てこなくなるからだ。

そこから先はひたすら小森ユウのスパイダーマンとしての苦悩と現実社会の食い物にされた人々の陰鬱なエピソードが描かれている。

ヒトコト断っておくが、エピソード自体は非常に秀逸であり、決してつまらない漫画ではない。

しかし、正直僕はもう読みたくない。

こんな暗い話が大嫌いだからだ。

憂鬱な気分になれるほど感情移入できたし、人間のドロドロした部分を楽しみたい人なら全巻買っても満足できることうけあいだ。

そして、最終話を読み終え、ページを閉じた後に気付く。

「これスパイダーマンじゃなくてもよくね?」

と。

 

 

余談だが、そんな陰鬱なストーリーの脚本を書いていたのは、幻魔大戦シリーズやウルフガイシリーズで有名な作家平井和正先生であり、いくつか過去に発表した短編小説のエピソードをまんま利用しているそうだ。

なお、先生は2015年1月に亡くなられました。